褒める子育ての落とし穴——褒め方より先に見直したいこと
子どもが頑張っていることは分かっている。だから、その頑張りを言葉にして伝えたい。
けれど、声をかけると嫌そうな顔をされたり、「分かってるよ」と返されたりする。そんな経験はありませんか。
「どう言えば、素直に受け取ってくれるんだろう」「自信をつけてあげたいのに、余計なことを言ってしまいそう」
そう考える親御さんもいらっしゃると思います。
大切なのは、「頑張ったね」を別の言葉に置き換えることではありません。その言葉で、何をしようとしているのかです。
「認めたい」と「もっと頑張らせたい」が混ざっていませんか?
例えば、子どもがテストに向けて机に向かっている場面を考えてみてください。
いつもより長く勉強している。少し眠そうなのに、まだ取り組もうとしている。
その姿を見れば、「頑張っているな」と感じるでしょう。同時に、「この調子で続けてほしい」「これで成績が上がれば、自信もつくかもしれない」と期待することもあると思います。
その期待から、「頑張ってるね」「えらいね」と声をかける。
親としては応援しているつもりでも、子どもには「もっとやりなさい」「その行動を続けてほしい」というメッセージとして届くことがあります。
特に、自分の意思でやっていることを大切にしたい子にとっては、親からの評価が入り込むことで、自分のための勉強が、親の期待に応えるための勉強に感じられてしまう場合があります。
「自分でやろうと思ってやっていたのに」「親の思いどおりに動いていると思われたくない」
そんな気持ちが、反発につながることもあるのです。
もちろん、嫌そうな顔をした理由が必ずこれだとは限りません。ただ、言い方を変える前に、親御さんの言葉にどんな期待が乗っていたのかを見直す意味はあります。

褒めることと、承認することは違います
RAYでは、親の評価や判断を含む「褒めること」と、本人の姿や取り組んできた過程をそのまま認める「承認」を区別しています。
褒めるときには、「それは良い行動だ」「もっと続けてほしい」という、親側の基準が入りやすくなります。
一方、承認で大切にするのは、子どもを望む方向へ動かすことではありません。実際に見た姿や、そこに向き合っていたことを、取り繕わずに認めることです。
「頑張っていることを伝えたい」のか、「伝えることで、もっと頑張らせたい」のか。まずは、自分の中でこの二つを分けてみてください。
子どもの成長を願うこと自体をやめる必要はありません。ただ、その願いを、目の前の頑張りを認める言葉の裏に忍ばせないことです。
同じ「頑張ったね」でも、意味は変わります
ここで難しく考えすぎると、今度は「承認になる正しい言葉」を探し始めてしまいます。
「頑張ったね」は評価だから使わない方がいいのか。「机に向かったんだね」なら承認になるのか。努力の過程に触れれば、それでいいのか。
私は、言葉だけで褒めることと承認を振り分けるのは難しいと考えています。
例えば、「机に向かったんだね」と言っていても、心の中で「これを続けさせよう」と考えていれば、子どもを動かすための声かけになっています。
反対に、本当に見ていた姿を思い出し、ただその頑張りを伝えたいと感じたなら、「頑張ったね」という言葉でも構いません。
承認は、特定の言い回しを覚えることではありません。どんな気持ちで、相手に向き合っているかが土台になります。
「うまく言おう」「喜ばせよう」「やる気を上げよう」と考えるほど、実際に感じたことから離れてしまうことがあります。
本当に「頑張っているな」と思ったなら、まずはそれをそのまま伝える。その言葉をどう受け取るかは、お子さんに委ねてよいのです。
点数を見たときに、思い出せる姿がありますか?
テストの点数が上がったとき、親御さんはうれしくなると思います。
ただ、そこで「点数が上がったね、すごいね」と数字だけを評価すると、子どもがそこまでに過ごしてきた時間には触れられません。
例えば、実際に見ていたのであれば、こんな伝え方もできます。
「眠そうだったのに、それでも机に向かっていた日があったね。あのときの姿、よく覚えているよ。頑張っていたね」
これは、言わせるための例文ではありません。親御さんが本当に見ていて、覚えていることを伝える一例です。
点数について話す機会にも、「何点だったか」だけでなく、「そこまでに、どんな時間があったか」に目を向けてほしいと思います。
過程を詳しく話せば自動的に承認になるわけでもありません。「だから次も頑張ろうね」と続けさせるために使えば、また親の期待が乗ってしまいます。
大切なのは、本人の取り組みを見ていたことを、正直に伝えることです。
「見守る」とは、頑張っている姿を見ておくこと
では、今まさに自分の課題に向き合っている子どもに、親は何ができるのでしょうか。
私は、無理に声をかけるよりも、まずはその姿を具体的に見ておいてほしいと思っています。
例えば、日常の中で気づいた次のような場面です。
なかなか取りかかれなかった課題に、自分から向かっていた。
できない日があった後に、もう一度取り組もうとしていた。
自分で区切りをつけて、スマホを置いていた。
いつもより長く机に向かっていたことだけでなく、迷いながらも取り組んでいたこと、自分で行動を選ぼうとしていたことにも目を向けてみてください。
毎回声に出す必要はありません。細かく監視したり、逐一記録したりする必要もありません。日常の中で見られるときに、見ておく。それでよいのです。
言葉にして認めようとする前に、認める相手の姿を、ちゃんと見ていること。私は、それが「見守る」ことの大切な部分だと思っています。
この話は、本人がすでに取り組んでいる場面での関わりについてです。困って助けを求めているときまで、何もせず待つという意味ではありません。
上手な褒め方を探す前に、立ち止まってみてください
「どう接すれば、この子を伸ばせるだろう」「何と言えば、もっと頑張ってくれるだろう」
そんなふうに肩に力が入ると、子どもの頑張りが、次の行動を促すための材料になってしまうことがあります。
今日から意識するなら、まずは二つです。
その声かけで、子どもを動かそうとしていないかを確かめること。そして、本人が実際に取り組んでいる姿を見ておくこと。
今日、何か言わなければいけないわけではありません。自然に伝えたいと感じたときに、本当に見たこと、本当に思ったことを伝えてください。
不登校からの復学も、その後の継続登校も、親の期待どおりに動けるようにすることだけが目的ではありません。本人が、自分の人生の課題に自分の意思で向き合えるようになること。その過程を、家庭でも支えていきたいと考えています。
RAYでは、声かけの言い回しだけでなく、親御さんがどんな思いで関わり、お子さんにどう受け取られているのかを一緒に整理しています。
「認めたいのに、声をかけると噛み合わない」「復学後、どこまで関わればよいのか迷う」という方は、RAYの相談・お問い合わせからご相談ください。
褒めることと承認の基本的な違いについては、「子どもに自信を持たせる方法」もご覧ください。




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