「良かれと思って」が逆効果になる子育て
子どもの話を聞いていると、「それなら、こうすればいいのに」と思うことがあります。
困ってほしくないし、自分が知っていることなら教えてあげたい。ところが、話している途中で嫌そうな顔をされ、「もういい」と言われてしまう。
何がいけなかったのか分からず、「せっかく心配しているのに」と感じることもあると思います。
今回ご紹介したいのは、そうした関わりを日々の生活の中で見直してきた、ある保護者の言葉です。
子どもへの接し方を学ぶうちに、自分が人とどう関わっているかにも目が向くようになったと話してくださいました。
子育てで悩むと、どうしても「この子をどうすればいいか」に意識が向きます。
けれど、子どもと向き合おうとするときには、その子に接している自分の振る舞いも、見直していく必要があると私は考えています。
自分がされて嫌だったことを、子どもにもしていないか
その保護者は、周囲の人から求めていない助言を受けたときの、少し重たい感じについて話してくださいました。ひどいことをされたわけではない。相手も良かれと思って言っている。それでも、「そこまでは聞いていないんだけどな」と感じる。
そこで、相手の言い方を批判するだけでなく、「自分も同じことをしていたかもしれない」と振り返ったそうです。

「自分はどうなんだろうとか、自分のことを振り返ったり、これまでのことを考えた」
「助言は求められてから」と知識として分かっていることと、求めていない助言を受ける側の気持ちが分かることには、違いがあります。
例えば、自分が仕事のことで疲れて帰り、少し話を聞いてもらいたいときに、すぐ「それならこうすればよかったんじゃない?」と返されたらどうでしょう。言われた内容は正しくても、「今はその話をしたかったわけじゃない」と思うかもしれません。
子どもが話し始めたときにも、同じようなすれ違いが起きていないか。自分の経験を通して考えてみると、「最後まで聞く」という関わりにも、違う意味が見えてきます。
人とのやり取りで感じた違和感は、自分の関わり方を見直すきっかけにもなるのです。
「普通は」で、自分の物差しを渡していないか
その保護者は、以前よく使っていた言葉にも気づいていました。
「『一般的には』とか『普通は』っていうのを、自分の物差しで『普通は』とか『一般的には』って言ってた」
「普通は先に宿題をするでしょう」「普通はそんな言い方をしないよ」。親御さんとしては、当たり前のことを伝えているつもりかもしれません。でも、その「普通」は、誰にとっての普通なのでしょうか。
自分が育った家庭の習慣や、自分ならそうするという考えが、いつの間にか誰にでも当てはまる基準になっていることがあります。
子どもにも事情や考えがあります。そこを聞く前に「普通は」と伝えると、こちらの基準で結論を出したまま話を進めてしまいます。
だからといって、家庭の約束をなくしたり、親の意見を言わなくなったりする必要はありません。「私はこう考えている」「これは守ってほしい」と、自分の考えや必要な線引きとして伝えることはできます。そのうえで、子どもがどう考えているのかも聞く。
自分と違う答えが返ってきたときに、すぐ「違う」と訂正したくなるのか。それとも、もう少し聞いてみようと思えるのか。そうした場面には、親自身の課題も表れます。
全部伝えたら、相手のためになるとは限りません
「ここまで説明しておけば困らないだろう」「せっかくだから、これも教えておこう」。そう思って話しているうちに、言葉が増えていくことがあります。
今回の保護者は、その感覚についてこう話してくださいました。
「全部を全部言い切らない。」「本当はここまで10言ったら私の気持ちが楽になったり、親切で『教えてあげたな』っていうふうになるけど、相手はそこまで求めてない」
相手のために話していたつもりでも、全部伝えたことで安心しているのは、自分の方だったかもしれない。この気づきは、子どもへの助言だけでなく、日常の会話にもつながっていたそうです。
私は、子どもが話しているときには、まずその話を聞いてほしいとお伝えしています。本人が考えたり、気持ちを話したりしている途中で、親が答えを出して終わらせないこと。助言を求められたときに、自分の考えを伝えることです。
こちらが言いたいことを全部言い切るより、相手が何を話したかったのかを分かろうとする。そのために、言葉を足さずに聞く時間も必要です。
これは、安全に関わる場面や、本人だけでは対処できず援助が必要な場面まで、黙っているという話ではありません。日常の会話の中で、求められていない答えを先回りして渡していないかを見直す話です。
自分を振り返ることが、責めることになっていませんか
「自分もやっていたかもしれない」と気づくと、今までの接し方が気になり、後悔することもあるでしょう。
けれど、自分の振る舞いを振り返るたびに「私はダメな親だ」と結論づけてしまうと、次にどう関わるかを考えるのが難しくなります。
今回の保護者は、話す量を少し控えたり、相手の話を聞いたりする中で、「あんなことを言わなければよかった」という思いが減り、自分の心も軽くなったと話していました。
振り返るときには、「次の会話で、何を変えてみようか」まで考えてみてください。
いつも途中で答えてしまうなら、今日は最後まで聞いてみる。「普通は」と言いそうになったら、自分の考えとして伝えてみる。
子どもの反応がすぐに変わるとは限りません。それでも、自分の関わり方を選び直すことはできます。
相手を尊重するために、親が自分の気持ちを押し殺す必要もありません。自分が嫌なこと、大切にしたいことも伝えてよいのです。相手の話を聞くことと、自分の思いを伝えること。その両方を、日々の会話で学んでいきます。
家族がしてくれたことにも、目を向けてみる
子育てに悩んでいると、直してほしいところが目につきやすくなります。「またできていない」「何度言えば分かるんだろう」。その一方で、家族がしてくれた小さなことは、当たり前として通り過ぎていないでしょうか。
この保護者は、何気ないやり取りにも「やってくれたんだ」と気づき、感謝を感じられるようになってきたと話していました。
例えば、家族が用件を取り次いでくれた。必要なことを伝えたら、落ち着いて返事が返ってきた。大きな出来事ではなくても、そうしたやり取りをうれしいと感じる。
その姿勢も、子どもとの関わりを学ぶ中で育ってきたものだと思います。できていないところを確認するだけでなく、今ある関わりにも目を向ける。自分がどんな家庭にしたいのかを考えるときの、大切な手がかりになります。
もちろん、つらい状況を「感謝が足りない」と片づけるつもりはありません。必要な助けを得ることと、日常の中で受け取れるものに気づくことは、どちらも大切です。
子どもと向き合う中で、自分も学び続ける
今回の保護者の話で印象に残ったのは、誰かに言われた対応を守るだけでなく、自分の日常から学びを深めていたことです。
「やっぱり自分との会話をするって大切なんだなと思って。」
子育てを通して親も育つというのは、こういうことではないでしょうか。子どものことを考えながら、自分の言葉や物差し、人との接し方も見直していく。知っていることを実際の生活で試し、自分がどう感じたかをまた考える。
今日の会話を一つ振り返るなら、「相手は何を話したかったのか」「自分は何を伝えたくなったのか」を考えてみてください。そして、次は最後まで聞いてみるなど、変えてみることを一つ決める。それで十分です。
子どもに学んでほしいと願う親自身も、学び直すことができます。
その姿勢を持ちながら、子どもと向き合っていきたいと思っています。
RAYの家庭教育支援では、子どもへの声かけだけでなく、親御さん自身がどのような関わり方をしたいのかも一緒に考えています。
お子さんの不登校や復学後の関わりで、「話を聞きたいのに、いつも言い合いになる」「任せることと、親が伝えることの境界が分からない」と悩んでいる方は、RAYの相談・お問い合わせから現在の状況をお聞かせください。




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